休みの日

仕事がなく、休みが来たことがなぜかとてもうれしくて朝からデパス1シートを飲む。コーヒー二杯を飲む。そしてコンビニでお金を下ろし、ツタヤに行きディアゴスティーニのニードルフェルトでねこあつめとやらを買い、ドラッグストアでブロンを買った。ついでにユンケルも。
今日はお昼に半分、夜に半分でブロンひと瓶消費した。大した市販薬常習犯でもないので罪悪感はなかった。
お昼から夜まで、ニードルでフェルトをつついていた。難しそうだと思っていたが、思ったより簡単で不器用な自分にもできた。ニードルでフェルトをつついていくと、形が出来上がってくる。つつくだけで、繊維がくっつくのだ。楽しくて仕方なく、ずっとブスブスとつついていた。一種のストレス発散かもしれない。かわいいから次号も買うつもり。
昼過ぎに国試を控えている好きな人に合格祈願のお守りを作った。手作り感満載。わたしは運動部のマネージャーか。そして、夜に手紙を書いた。三枚にも渡った。

働いていると、毎月通帳の数字が増えていく。しかし、使うこともない。使いたいものがない。欲しいものはたくさんあるが、別になくてもいい。だから減らない。
休日は疲れを取るために家にいる。友人に会いたいとか、買い物したいとも思わない、なんのために仕事しているんだろうと考える実家暮らしの呑気な自分。絶対的な危機感がないのだ。働かなくても、今は生きていけるから。
働くことが苦痛というわけではない。しかし、なにか見失っているような、もやもやとした感覚がある。自分がやりたいことなんてなにもないのに。
とにかく、週5日フルで働いて無駄に考える時間をなくしている、それがわたしが働いている理由かもしれない。仕事ができないのと、自己肯定感の低さが相まって泣いてしまうこともあるけど、すぐケロっと元に戻る。家にいたら際限なく考えるから、その意味では仕事は身体にいい。
でも、どうして過剰服薬が続いているのかわからない。癖になってしまっているのかな。自分の身体を大切にできない。最近、職場の人たちや友人、両親のことをありがたく思うようになって、私の存在が自分のなかではっきりしてきた。他者と関わらないと、やはり自分の存在は感じにくいのだろう。不思議なことだと思う。じゃあなんで自分の身体を大切にできない?

今日もHINTOのSUMMER GAZARをリピート。

 

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